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使命感的な何かが湧き上がってきたら更新するブログ

「光GENJI世代」から見た「中居くん」の時代

ハロプロと関係なさそうであるような話 テレビ見た

笑っていいとも!」最終回特番「グランドフィナーレ」を見て感じたことや、その後のネット界隈での様々な感想やらを巡回していて感じた事が色々ありまして、このBLOGの趣旨から外れたことなんで書こうかどうか迷ったんですがモヤモヤするんでちょっとだけ。まあ、そもそもこのBLOGの趣旨って何?って話なんですけど。

 前半のハイライトとなったのは何といっても「ダウンタウン」「とんねるず」という今までほとんど交わることのなかった「大看板」2組の会合で、松本人志曰く「まだまだ売れる」であろう大ベテラン「明石家さんま」を含め、あのメンツが一堂に会した光景は「見てるサイド」も緊張と興奮で浮つくような、ちょっとテレビでは近年味わってなかった感覚があり、さすがに「いいとも!」最終回クラスの舞台が整わなければ実現しなかったであろう「超カオス」で夢のような時間でした。フジテレビさんありがとう。

で、後半「いいとも!」の各レギュラーメンバーが一人ずつ「タモリ」に対して感謝のスピーチをしていくという流れがあり、これ制作サイドは「真面目な感謝のスピーチ」を演者に対して要求したようなのですが、各人それぞれの「やり方」があって面白く、結局番組を最後まで見てしまうことになります。個人的には「さまぁ~ず」の三村さんがMVPでした。

ここで結構、好評というか評判になったのがSMAPの中居くんによるスピーチで、まあ中々の熱い内容で、世代によっては凄く共感や感動を呼んだとしても不思議ではないし、真面目一辺倒に偏らず鶴瓶を引き合いに出してきっちり笑いを取る「バラエティ」としても気の利いたものでした。

ここで中居くんはバラエティ番組について「非常に残酷なもの」として以下のように語るわけです。

「やっぱり・・バラエティって非常に残酷なものだな、とも思います。 お陰様であの・・歌もやらさせてもらって、お芝居もやらさせてもらって、バラエティもやらさせてもらって・・。歌の世界っていうのは、いずれかライブとかやれば最終日があって。 ドラマもクランクアップがあって。 映画もオールアップがあって。 なんか始める時にその終わりを・・ゴールに向かって・・それを糧にして進んでるんじゃないかなって思います。

でも、バラエティは終わらないことを目指して、進むジャンルなんじゃないかな、と。 覚悟を持たないといけないジャンルなんじゃないかな、と思いながら、「いいとも」に立たせてもらったのをきっかけに僕は、バラエティを中心にSMAPとしてやらさせてもらおうかな、と。」

「非常にやっぱり・・バラエティの終わりは・・寂しいですね。

他のジャンルは、評判が良かろうが悪かろうが終わりがあるんですけど、バラエティってゴール無いところで終わらなければならないので、こんなに残酷なことがあるのかなと思います。」

中居くんが「いいとも!」を20年もレギュラー出演していた事にも驚きましたが、彼の言う「バラエティは終わらないことを目指して進むジャンル」という言葉にひどく違和感というか、ハッとさせられた訳です。20年来テレビに対して感じてきたモヤモヤしたものが一つ氷解したような、そんな気分でした。

実際「いいとも!」の終了を惜しむ人たちもいるでしょう、でもそれって廃止の決まった寝台特急の最終便に詰めかけて「残念です。」なんていってる人たちと大して変わらないように見えて仕方がない、なんか感傷に流された行為に見えるわけです。じゃあお前ら毎日「いいとも!」見てたのかよと。

当方、ハロヲタ的には「マノフレエッグ世代」ですから、世を忍ぶ仮の姿的には、ちょうど中居くんと同世代になります、ここはあえて「光GENJI世代」という事にしましょうか。

歯に衣着せぬ言い方をすれば「いいとも!」なんて、本来とっくの昔に終ってなきゃいけない番組っだったんじゃねーのと、こう感じるわけです。いくらなんでも引っ張り過ぎだよと。だからといって別に「ヒルナンデス」派というわけではありませんし、中居くんやタモさんが嫌いという訳でもありません、まあ好きでもありませんが。「タモリ倶楽部」のタモリはちょっと好きです。「今夜は最高!」の時のタモリはかなり好きでした。

ここらへんのワードで若い人たち、物心ついた時から「いいとも!」や「SMAP」が既に存在していた世代の人たちは頭にでっかいクエスチョンマークが浮かんでくることでしょうが、構わず続けます。

「バラエティは終わらないことを目指して進むジャンル」

これは中居くん自らが「バラエティ番組」によって育てられ「芸能人」として今の地位を築き上げたという矜持であるとともに、テレビ界で飯を食ってる人たち全てに共通したある種の考え方を端的に表している言葉なのではないでしょうか。

終わらないということは「番組」に関わる作り手、演者に取っては「安定」を保証するものです。好調なものや定番化したものを終わらせて「不安定」な明日の知れない「新番組」を立ち上げるにはリスクが伴うわけですから。

これは「作り手側」の考えであって、見る方にとってはどうでもいいことです。しかしながら視聴率的にある程度の「安定」が維持出来ていれば「めちゃイケ」も「ぐるナイ」も「みなさんのおかげ」も「ダウンタウンDX」も「スマスマ」も「さんま御殿」も余程のことが無いかぎり続くわけです。「いいとも!」が何故終ったか本当のところはよく分かりませんが近年「視聴率的」に翳りが見えていたのもまた事実です。

これからもバラエティは一部の終わらない「長寿番組」と「終わらないことを目指して」新たに立ち上げられては短命に終わる「何やってんだテレビ」や「タケシムケン」的なものに二分化していくわけです。

人気番組のとくに「バラエティ」の長寿化によってテレビで活躍する「人気者」のサイクルが滞ったのが正にここ20年くらいの話で、10年前には今とほとんど変わらない顔ぶれが揃っていたと思われます。一部の「一発屋」をのぞき一様に「バラエティ」の世界に長く居座ることを目指して。

そして「光GENJI世代」である我々は、そんな「代わり映えのしない」地上波のバラエティに辟易として、BSやCSで「スポーツ観戦」や「ドキュメンタリー」そして「昔のドラマやアニメ」を観るという新たな選択肢に向かうか、「テレビ」そのものから完全に背を向けることになるわけです。

これは今の「バラエティ批判」というよりテレビそのものが数多ある娯楽のうちの選択肢の一つでしかなくなったという話であって、「いいとも!」や「タモさん」を惜しむ人たちや「中居くん」の言葉に感銘を受けるタイプの「顧客層」はまだまだたくさんいるという事が今回よくわかりましたから「バラエティ」は当分安泰なのでしょう。

ただ「とんねるず」と「ダウンタウン」による全くお互いの「手の内」が分からない中、間合いを探りながらもきっちり技を繰り出していく「異種格闘技戦」さながらのヒリヒリするような好ファイトを見てしまうと、 中居くんがスピーチでやったような笑いの取り方ってのは演者同士の関係性の上に成り立つ「馴れ合い」であって、今の「バラエティ」全体に蔓延するゆるい空気感を象徴的に現しているように感じたわけです。

これ別に「中居くん」批判じゃないですよ。

あのテレビの「人気者」たちが一同に介したステージ上で「仕切りだした」中居くん。

普段は「バラエティ」で仕切るサイドの「人気大物MC」が勢揃いしたことにより「超カオス」状態に陥ったあの場所で、唯一「仕切りだす」ことが出来たのが「とんねるず」とも「ダウンタウン」とも「明石家さんま」とも「笑福亭鶴瓶」とも「ナイナイ」とも「爆笑問題」とも「タモリ」とも「馴れ合う」ことの出来る「アイドル」という畑違いのフィールドにあった「中居くん」だったという。これが凄く面白かった。

あの場所で、間違いなく「バラエティ」界の中心に彼が立っていた。

 そしてあらためて現在のテレビ界において「中居くん」というポジションがいかに特殊で「重要」なものかを思い知らされたわけです。

僕が初めて「中居くん」という存在を知ったのはそれこそ20年位前でしょうか。高校生の時よく聞いていた「オールナイトニッポン」が今どんな感じになってるのか気になって、たまたま聞いたのが「中居正広オールナイトニッポン」の番組冒頭のオープニングトーク。そこでSMAPのメンバーで「アイドル」である彼がいきなり「あーセックスしてぇな~」と語りだしたんですね、詳細は忘れてもこのフレーズは今だに覚えています、それほど衝撃的だったわけです。驚いたわけですよ。

そりゃハタチそこそこの若者です、そんなもん誰だってセックスしたいわけです。でもね「SMAP」はジャニーズのアイドルなわけで、これ聞いて思いましたもん「あー時代がかわったんだな」と。

いつだって時代を変えるのはこういう「革新者」で、中居リーダー率いる「SMAP」はそれまでの男性アイドルが時代の徒花的に若くして散っていったのとは違い、「バラエティ」や「ドラマ」からジワジワと人気を獲得していくという新しい売れ方をします。

SMAPの成功により「男性アイドル」の寿命は恐ろしく伸びました。「SMAP以前」なら2,3年のサイクルで循環していた「若くして散って」いったものが「SMAP以後」40,30当たり前です。「中居くん」たちが開拓していったフィールドを彼の後輩たちも踏襲し「ジャニーズ」は一大勢力として「テレビ界」に君臨しています。

しかし「中居くん」以前の人達のように、人気に見合った「地位」や「報酬」は得られずとも、若さに任せて「一瞬の光」を放ち儚く散っていく存在に魅力を感じてしまう。

どうしても「壊れそうなものばかり集めてしまう」わけです。